最近,瞑想をしなくなった。
現役の時は,朝,起きて,まず,瞑想をしてから学校に行くのが普通だった。
瞑想を始めるきっかけとなったのは,40代後半の時に出会った1冊の本だった。
本の名前は「怒らないこと」,著者はアルボムッレ・スマナサーラである。
多忙な学校現場のなかで,様々な生徒に振り回され,疲れ切った気持ちで本屋に行ったときに,偶然見つけた1冊だった。私はこの本の内容に共感し,スマナサーラの著書を次々と読んでいった。今,本棚を確認すると,彼の著書が50冊以上ある。関連本も含めれば100冊を超えている。
上座仏教徒である彼の教えはシンプルである。
「怒らないこと」だ。人間の感情のなかで最もよくないのが怒りの感情。怒らないことが全ての解決につながると,彼は言う。
怒らないために必要なのが平常心,そのための瞑想でもあるわけである。
確かに,学校で,様々なできごとに接するたびに私の心は大きく揺らされていた。その感情の大きな波のなかで,ああでもない,こうでもないとあがきながら苦しんでいた。理性的に判断しているつもりでも,そこには大きく感情が入り交じっていた。
そして,そういった行動のなかでの苦しみの源泉は,「怒り」。本来は,どのようなできごとがあっても,平常心を失わず,穏やかな心で対応できれば,結果に関係なく,それでいい。それでいいのである。
そのように学びながら,だんだんと早朝の瞑想が日課になっていった。
結果,生徒の行動に対して,以前より,冷静に判断し,指導することができるようになっていったと思う。完璧ではないが,以前と比べれば,あきらかに平常心を保てるようになった。しかし,それでも目の前の現実は現実。多くの負担や困難は,なくなったわけではなかった。
そして,現在である。
今,私は瞑想をほとんどしていないが,現役当時と比べて,全くの平常心である。全くの平安な気持ちである。表情は柔らかく,こころなしか空が広い。現役の時は,人と接するのがおっくうで,仕事から家に帰ると,家族の前でも不機嫌な顔をしてご飯をかきこんで書斎にこもっていた私。
今は人と接するのが気持ちいい。会話が楽しい。
そう,楽しいのである。毎日が。憂いが薄い。
養老孟司も言っていた。退職した次の日,空の色が違って見えた,と。
今,私は悟りました?