元ダメ教師de 今クソじじい

元ダメ教師のその後,そしてつぶやき

ウォーキング先生,現る!

 

 以前勤めた学校で,ウォーキングが好きな先生がいた。

 毎日ウォーキングしていた。

 ウォーキングの場所は学校の体育館である。そして勤務時間中でも関係なくウォーキングしていた。

 でも,誰も彼には何も言えない。田舎の中学校で,彼は地元で顔が広い。影響力のある男。校長も顔色をうかがい,何も言えない。一度,校長が彼に怒鳴られるのを見たことがある。どっちが管理職なのだ?

 生徒も,彼を恐れ,基本逆らえない。体罰なんて,彼にとっては・・・・。

 体育館には冷蔵庫がある。熱中症対策の冷蔵庫のはずだが,中には彼のウォーキング後のための飲料がちゃんと入っている。

 そして彼はパワフル。30kgのおもりをつけてウォーキング。

 そんな彼も,学校を異動することになった。ところが,他の学校に異動しても,なぜか彼はまた体育館にやって来る。そしてウォーキング。どうも日曜日も来ているようだ。つまり,彼は体育館の鍵を持っているようなのだ。

 

 では,この学校は皆,楽だったのだろうか。

 否,とても忙しく,とても大変な学校だった。教師たちは,がんばって授業に取り組み,放課後は部活動指導を熱心に行い,朝早くから夜遅くまで,休む時間もほとんどなく働いていた。

 でも,ウォーキング先生は,なぜか部活動の顧問はしていなかった。クラスの担任も持っていなかった。そして,勤務時間が終わったら,さっさと帰っていた。

 

 大いなる矛盾が渦巻く場所,それが学校現場。

 もっともっと学校は見える化を図り,学校で何がどのように行われているかがわかるようにしていけばいい。学校を密室にしてはいけない。いつでも,保護者は授業を参観できるようにすればいい。学校の風通しをよくしていこう。

 

 ウォーキング先生,今もがんばっているのだろうか??? 

ゾンビの正体がわかった!

 私は若いときからゾンビ映画が好きだった。

 私の若いときも,ゾンビ映画が流行っており,ジョージAロメロの三部作「Night of the Living Dead」「 Dawn of the Dead」「Day of the Dead」は,ゾンビを通して,様々なメッセージを私たちに送っていた。単なるホラー映画を超えていたと思う。

 そして現在である。なぜか今も,ゾンビもののドラマがよくある。海外でも,国内でも,ゾンビをモチーフにしたドラマ,映画が作られている。そして設定はだいたい同じで,

 ・人は死んだらゾンビになる。

 ・ゾンビに噛まれても,感染してゾンビ化する。

 ・ゾンビの弱点は頭部であり,頭部を破壊すればゾンビは死ぬ(?)

 といったところである。

 なぜ,ゾンビに関連する映画やドラマはなくならないのだろうか。なくなるどころが,定着した感すらある。そして人類はどうしてあんなにゾンビに対して弱いのか。ゾンビの頭を打ち抜けば倒せるのに,人類はなぜか劣勢であり,苦しみ続けている。

 

 そしてわたしは,ふと,思ったことがある。

 このゾンビ,ひょっとしたら,我々老人のことじゃないのか。と,思ってしまったのである。

 そうすると納得できることが次々と出てくる。

 ・ゾンビのあの鈍い動き,そして知力の低下。

 ・なかなか死なないしぶとさ。

 ・誰もがいずれはゾンビになる。

 なんということだろう。ゾンビと老人は,共通点が多々あるのだ。

 そして高齢社会である。どんどん増えている老人たちが,人類にとって大きな脅威となっているのだ。若者たちを圧迫しているのだ。

 

 そして,私は,思った。ならば,この高齢社会の解決方法は,これしかないと。

 これとは,「ゾンビ(老人)と和解する」ということだ!

 確かに高齢者,老人は,体力も知力も衰え,動きも鈍くなっていく。考え方も堅く,現代に適応が困難になっていく。しかし,医療の発達や食事等の豊かさにより,平均寿命はさらに延びていく。

 ならば,彼ら,老人にできることを模索し,彼らの利点を見つけ出し,彼らをいかに活かしていくか考えることこそが,日本をはじめとする高齢社会の活路となるのではないのか。老人を醜悪な存在として距離を置くのではなく,同じ地平に立って活かし合っていく発想である。よって,老人たちも,隠居するのでなく,積極的に社会に関わり,活躍すればよい。その活躍の場を模索していくことだ。

 

 だから,シーズンが今も続いているゾンビのドラマが海外にあるが,最後は人類とゾンビが仲良しになって終わってください。

 お願いします❤️❤️❤️

 

ロードバイク Roubaix SL8!

 ロードバイクを買った。スペシャライズドのRoubaix SL8というらしい。

 もう高齢である,なのでそんなにスピードは出なくてもいい,でも坂道などにチャレンジしたり時には遠出もしたりしてみたい,とか店員にごちゃごちゃと話してみたところ,「お客さんのニーズにはこれがぴったり!」と言われ,ついつい買ってしまったのである。しかも結構高かった。だが,無職で無収入のくせに買ってしまったのだ。

 

 実は,ロードバイクに乗るのは今回が初めてではない。30歳のころ,1年くらい乗ったことがあった。そのときは,友人に勧められて購入し,5~6回ぐらい遠出もした。でも,そのうち乗らなくなっていった。

 なぜなら,学校現場は忙しいのである。平日はもちろん乗れない。土日は部活動だ。はっきり言って,乗る時間などほとんどないのだ。たまに休めるときができても,ロードバイクに乗る元気が既にないのだ。

 本来は,私は運動が好きだ。大学までは何らかのスポーツに取り組んでいた。自分で言うのも何だが,筋肉の盛り上がった,いい体をしていた。

 しかし,教師になってからは,だんだん運動から遠ざかっていった。そしてだんだん体力も衰え,老化も進んでいったわけである。もちろん体は貧弱に,重力の法則に従って垂れ気味になっていったのである。

 

 では,今はどうか。ジムに通いだした。その結果,確実に体力がついてきている自分を感じる。あきらかに,退職前の私よりは体力がある。そして汗を流すのが気持ちいい。それだけ精神的にも余裕が出てきたのだ。

 そしてRoubaix SL8なのである。(ルーベと読むらしい。)来週末,届くそうだ。楽しみである。

 が,どこまでがんばれるだろうか。不安もある。腰も痛い。膝も痛い。転んだらどうしよう。若いときと違って,怪我も大きくなるだろう。

 でも楽しみなのである。

 でも,どうなるだろう?

 とりあえず,がんばろう!(まだ,届いていないが。)

  

アルボムッレ・スマナサーラ

 最近,瞑想をしなくなった。

 現役の時は,朝,起きて,まず,瞑想をしてから学校に行くのが普通だった。

 瞑想を始めるきっかけとなったのは,40代後半の時に出会った1冊の本だった。

 本の名前は「怒らないこと」,著者はアルボムッレ・スマナサーラである。

 多忙な学校現場のなかで,様々な生徒に振り回され,疲れ切った気持ちで本屋に行ったときに,偶然見つけた1冊だった。私はこの本の内容に共感し,スマナサーラの著書を次々と読んでいった。今,本棚を確認すると,彼の著書が50冊以上ある。関連本も含めれば100冊を超えている。

 上座仏教徒である彼の教えはシンプルである。

 「怒らないこと」だ。人間の感情のなかで最もよくないのが怒りの感情。怒らないことが全ての解決につながると,彼は言う。

 怒らないために必要なのが平常心,そのための瞑想でもあるわけである。

 確かに,学校で,様々なできごとに接するたびに私の心は大きく揺らされていた。その感情の大きな波のなかで,ああでもない,こうでもないとあがきながら苦しんでいた。理性的に判断しているつもりでも,そこには大きく感情が入り交じっていた。

 そして,そういった行動のなかでの苦しみの源泉は,「怒り」。本来は,どのようなできごとがあっても,平常心を失わず,穏やかな心で対応できれば,結果に関係なく,それでいい。それでいいのである。

 そのように学びながら,だんだんと早朝の瞑想が日課になっていった。

 結果,生徒の行動に対して,以前より,冷静に判断し,指導することができるようになっていったと思う。完璧ではないが,以前と比べれば,あきらかに平常心を保てるようになった。しかし,それでも目の前の現実は現実。多くの負担や困難は,なくなったわけではなかった。

 

 そして,現在である。

 今,私は瞑想をほとんどしていないが,現役当時と比べて,全くの平常心である。全くの平安な気持ちである。表情は柔らかく,こころなしか空が広い。現役の時は,人と接するのがおっくうで,仕事から家に帰ると,家族の前でも不機嫌な顔をしてご飯をかきこんで書斎にこもっていた私。

 今は人と接するのが気持ちいい。会話が楽しい。

 そう,楽しいのである。毎日が。憂いが薄い。

 養老孟司も言っていた。退職した次の日,空の色が違って見えた,と。

 

 アルボムッレ・スマナサーラ先生。

 今,私は悟りました?

 

図書館に群がる老人たち

 私は無職である。

 老後も仕事はするべきだと考えているのだが,今はしない。

 よってヒマである。じゃあ何をしているのか。

 よく,図書館に行くようになった。

 私は本が大好きである。私は,本に育てられ,本に教えられ,本に助けられ,本から様々な恩恵を受けてきたと思っている。だから,図書館は私にとってパラダイスである。図書館にいるだけで,幸せ感にひたれるのだ。

 ところが,その心地よい気持ちになっている私に,冷水を浴びせるような思いにさせる存在がある。

 

 老人たちである。

 

 平気で携帯で大声で話す,椅子に足を投げ出して座る,ノートパソコンを持ち込みカチャカチャと強くキーボードを響かせる,しまいには放屁をしながら歩いている,のである。とにかく老人たちのマナーの悪さがひときわ目立つのである。

 彼らはわかっているのだろうか。現在の日本の最大の問題の1つが高齢社会だということを。高齢者が,若者たちの,社会の重い負担となってきている。昔なら老人といえば希少な存在でご苦労さんといった感じだったが,今はそこら辺じゅうにうろうろと手持ちぶさたにいる存在なのだ。

 だからこそ老人は,長年生きてきた存在として,せめて礼節を重んじ,若者たちの範となるような行動に努めるべきではないのかと,私は思う。

 しかしこの老人たちは,図書館だけでなく,そこかしこでトラブルを起こしたり,逆ギレしたりしているのだ。

 いったいどうすればいいのだろうか。

 全然そんなことなんか気にもならないような老人の表情をまじまじと見ていると,何か私のなかで引っかかりだした。そしてその老人の顔をよくよく見ていると,そう,昔教わったやつ,ドッペルゲンガーというやつだ。

 目の前の老人の顔が,私の顔そっくりに見えてきたのである。

 

定額働かせ放題の教師

 なぜか体調を崩し,一昨日より自宅にいるようにしている。

 頭痛,鼻水,関節痛,倦怠感,喉の痛みなど。しかし,発熱はないようである。

 現役時代は,1年に何回も高熱を発した。または,微熱が何週間も続くこともあった。とにかく私は,ストレスや疲れがたまると発熱しやすい体質だった。

 30代のころ,40度を超える高熱となり,入院したこともある。そのときは,扁桃腺を切り,約1ヶ月学校を休んだ。

 熱が出ようが学校はある。基本的に,なかなか休めない。私が休むと,誰かが私の授業の補欠に出ることになる。また,私は学担が多かったので,朝の短活,給食指導,そして終礼を他の教師がやらなければならない。

 だからなかなか休めないことになる。結果,熱があろうが出勤する場合も多くなる。

 本当につらかった。とてもしんどいのに,生徒には笑って接する。生き生きとしていなければならない。そしてさらにストレスがたまる事件がどんどん起きていく。結果,症状はなかなかよくならない。

 ダメ教師ながらも,よく,定年まで我慢したと,自分ながらにそう思う。

 3月まで勤めていた学校も,忙しい学校だった。やはり,時々体調を崩して休む先生が他にもいた。いまだに学校は,業務内容がとても多く,しかも生徒や保護者相手にストレスがたまるできごとがとても多い。働き方改革とかいっているが,現場はなかなか変わらない。

 定額働かせ放題はもうやめて,教師の労働状況を改善していくことが,学校にとっても,保護者にとっても,社会にとっても,いいことにつながると思うのだが。

 

クラス替えが1年を左右する!

 桜もきれいに咲き,いかにも春らしい。

 もう,学校では,入学式も始業式も終え,新しいスタートを切っていることだろう。つまり,教師にとってむちゃくちゃ忙しい時期である。

 そして子どもたちの一大関心事はクラス替えである。

 学担は誰か,どんな友達と同じクラスか,これで1年が大きく左右されるわけである。

 そしてクラス編成について先生方が話し合うのはだいたい2月から3月。そのときの学年担当の先生が中心となり,次年度のクラス編成を話し合う。

 そして,クラス編成の主な基準は以下のような点においてである。

 ・成績が偏らない。

 ・運動能力が偏らない。

 ・各クラスにリーダー的存在がいる。

 ・良好な人間関係になるようにする。

 そして最後の「良好な人間関係」が最も難しい。まず,いじめの被害者と加害者は基本離す。問題行動が多い生徒を各クラスに散らす。全てのクラスが,良好な人間関係になるように努めるのだが,それは非常に難しいことで,そのために何度も学年会をくり返すことになる。

 そしてさらに,モンペ(モンスターペアレント)も散らしていく。

 そして春を迎えるわけだが,結局,新クラスは想定外の化学反応を示すことがよくあるのである。そんな思うようにはならない。

 先日,4月になって,クラス替えをやり直すというできごとが,全国ニュースになっていた。よっぽど大きな人間関係に関わる問題が見つかったのだろう。にしても,果たしてクラスの再編成をして,うまくいくのだろうか。いかないだろう。いくのなら,クラスの再編成なんか,話題にも出ないもんなのである。

 ご苦労様です。